Something Poetical Private

私的で詩的な映画の感想を書いています。

虐殺器官

『虐殺器官』を観に行った。

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

虐殺器官〔新版〕 (ハヤカワ文庫JA)

このブログにどういう人がたどり着くのかよくわかっていないが、僕なりにいつもどおりマイペースにやろうと思う。

Private な事情により僕はしばらくこのブログを更新しなかった。理由は単に映画をみていなかったからだ。Amazon Prime Video で見ることさえもなかった。なぜなのかはよくわからない。しばらく生活に物語が必要なかったからかもしれない。

およそ3ヶ月ぶりに映画をみるにあたり、感想を書くにも物語を消化するにも復帰戦として選ぶのに最適なやつがたまたま公開されたのでみに行った、それだけと言えばそれだけだ。

虐殺器官、もうこの作品を語る必要もないだろうと思うが、お時間の余っている方はこの記事に付き合ってくだされ。

さて、何から書いたものか。

まずこの作品を楽しめる人間って誰なんだろうかと思う。きっと僕のように既に原作を読んだ人だろう。この作品を1度みて、話の内容がよくわかったのだとすればその人は相当賢いか相当バカかのどちらかだ。

次に改めて虐殺器官は何がすごいのかと考えてみる。

それは例えば「理不尽なものはみんなカフカだ」という何でもないが微妙な intelligence を感じさせる言葉だったり、ジョン・ポールの真の目的であったり、クラヴィスとその母親のくだり*1であったりする。

それは例えば、まだ何も知らなかった大学一年生の僕に SF を、監視社会を、人間のおぞましさを啓蒙したことだったりする。

それは例えば、現在を愛し続ける人たちと憎み続ける人たちとの対立を、ドナルド・トランプが大統領になる10年前に描いていたことだったりする。

ただ、どれも微妙にズレている。

この物語は素晴らしい、それは疑いようがない。エンターテイメントであり啓蒙書であり SF でありミステリーと言えなくもない。

そして映画だけでこの物語を完結させるのは、あまりにも無茶である。この物語は、監視社会なのに、戦争をするのに、戦場の第一線で戦う男が主人公なのにも関わらず、映画というメディアにあまりにも向いていない。情報量と主人公たちの思考プロセスがかなり複雑で、映画では人の思考を表現することが難しいからだ。

原作を知らずこの映画をみた人にはぜひ原作を読んで欲しい。

原作を読まなくても楽しめるとは思うが……あなたが見たものは残念ながら伊藤計劃の作品ではない。

伊藤氏が生きていたら、虐殺器官の映画化を望んだだろうか。帰り道、僕はずっとそんなことを考えていた。

*1:映画では描かれていない。